近隣の先生が閉院されるとのことで、引き続きよろしく頼むと何人かご紹介していただきました。思えば15年前。わたしがこの千秋の地に落下傘のように降り立ったときにご挨拶にうかがってからずっとお世話になりました。センセイは初見にもかかわらず気さくに「がんばってくれたまえ」と笑顔でした。そして「でも私もまだまだ負けとらんからね。」とおっしゃっていただけました。最後に「それに、もうじきわたしにはここをついでくれるのがいるからね。」と。ほんとに日が過ぎるのは早いものです。
いらっしゃった患者さんたちは高齢で耳の遠い方も多いのですがセンセイのこととなるととたんにおしゃべりになられます。みなさんそろって言われるのは「お子さんがついでくれたらよかったのにねえ」です。こればっかりはなかなか難しいものです。「お前のためと思ってこれまでがんばってきたんだぞ。おとうさんは!」と言ったって(あくまで想像。)当人の胸にはこれっぽっちも響きません。だってお子さんにはお子さんの人生があるのですから。「どうして、わたしがお父様の言いなりにならなければならないの。そんなのいやよ。」(もっと想像。)そうそうセンセイのプラン通りにはいかない。まさにそれも道理なのです。
コロナの影響?それもあるでしょう。なにしろご高齢のセンセイとしては自身の健康にも関わることです。閉院はさみしいことからもしれませんが、タイミング的にはよかったのかもしれません。少なくともここまでやりきって最後を迎えられるセンセイがちょっとうらやましいです。生意気なことを申し上げたかもしれませんがそこはまちがいなく本音です。まことに御疲れ様でした。
最後に実は、センセイからのお手紙には「閉院するので…」とは書かれていませんでした。なにかそこにメッセージのようなものを感じています。もしその時、今度は反対にご挨拶にいらっしゃる方があったなら、本音はそっとオブラートに包んでから笑顔で私はこういうつもりです。
「がんばってくれたまえ」と