ちょいちょいちょいとシミズヤ♪でおなじみだった清水屋さんですが半世紀の活躍の後ついに閉店されました。その理由が建物の老朽化というのですからそれはもう本望というか立派なものです。昨年は近隣の宿泊施設も同様に廃館となり、そして今年のコロナ禍が起きて残念というよりむしろよいときだったと言わ
最近書店に行くとジュリン舎さんから発刊されるという昭和の時代の秘蔵写真を納めた限定盤写真集の宣伝がされています。1500部の限定で刊行記念特価のお値段。中身はまた江南の図書館ででも拝見しようかなと思っているのですが、このあたりの本屋さんには既にあちこちに写真が飾ってあります。そんな写真の中に懐かしい○ぱいヤさんの看板を見つけました。今でこそ本町は電信柱も取り払われて城下町っぽくきれいにされてインバウンドあてにした通りに仕上がっていますが僕らが走り回っていた頃はこんなふうではなかったなあ。もちろんもう40年もたつし変わっていくのはわかるんだけど…今の姿が昔馴染みとは言えないよなあ。
○ぱいヤというのは簡単に言えばゲームセンターですね。昔の建物は長屋づくりと言ってどこの家も間口は狭くて奥に長細い建物ばかり。そこに両方の壁にそってあの頃出てきたインベーダーとかブロック崩しとかゼビウスとかがずらっと並んでいました。いつも満席の繁盛店でしたがそこはやはり学校からすると要注意店でありまして、学校に勤務する公務員の方たちは時々見回りで視察にいらっしゃる。するとそれをまた見張り役の子供がいて、ご丁寧にも長屋の奥にはお客を逃がすための裏口も用意してあって、先生が来るとみんな奥の出口からトンずらするという大捕り物がよくありました。あの頃で始めたコンピューターゲームよりもそのガサ入れが楽しくて友達について遊びに行ったものです。今ではその○ぱいヤもどうやら観光案内みたいなことをやっているようですから時代を感じさせます。
他によく行ったお店というとプラモデル屋さんかな。やっぱり似たような長屋で古い木造の建物の入り口だけアルミサッシになっているところを開けると中はもう別世界でした。あまり明るいと言えない40W電球のお店の中はなんだか湿気じみていてその中で所狭しと山のように積み上げられたプラモデルの箱があってみているだけで楽しいものでした。「電池はナショナルハイトップ乾電池」の看板の下にはトヨタ2000GT パットン戦車 戦艦武蔵 同じく戦艦長門 そんな定番の他に輪ゴムが動力の飛行機、木でできた潜水艦 アクリル板 エナメル線 バルサ材 豆電球 マブチモーター ラッカー セメンダイン なんでもほしいものがあったような気になりました。そんな中でも当時は御存知ガンプラが異常なほど人気がありました。入口の所に飾ってあるジオラマ風の箱庭にはいつもあの赤いモビルスーツがいらっしゃいました。プラモ屋は「どんなに欲しくても、たとえお金があっても」簡単には手に入らないということを子供にも教えてくれる存在でした。何しろ人気のある機種を手に入れるにはまず店のおばちゃんと仲良くならなければなりません。だからプラモやのおばちゃんはみんなの人気者でした。そして御贔屓の子には何日の何時ごろに大佐専用のゲルググが入荷するなどの情報を教えてくれるのでした。そしてその時間になると子供たちはお店の前に並んで待つのです。今だってマスクで並ぶんだから(実は現代で並んでいるのは当時の子供世代?)おんなじことです。貴重な赤いMSを手に入れようと思ったらそれはもう予約するしかありません。たぶん本当に全国的に貴重な品だったんでしょう。Xマスにサンタさんにお願いしたってダメです。「コレじゃないロボ現象」で泣いた子もいっぱいいたことでしょう。仮に予約できたって手に入るかどうかはおばちゃん次第。そんな本当の資本主義というものをプラモ屋のおばちゃんは教えてくれたのでした。
話が大幅にそれましたがコロナでこれからどうなるんでしょう。観光地というのはそこに住んでる人にはいろいろ苦労があるものです。うまくいっている時はいいけどこれからまた違う時代が来てそれについていかないといけないのはたいへんです。年がら年中キャッスルまつり作戦も少子化で困っているらしいし。かの地では男子が生まれると太鼓タタッキー要員として人数に入れられて向こう三軒両隣はお祝いに背中でキラキラ光るLED電飾を新調しなければならないというまことしやかな噂もあります。あのきらびやかな市中引き回しまつりにもいろいろと苦労があるでしょうね。伝承していくというのはホントにたいへん。