「よしこさん。今日の月は一段ときれいですね。」
「ええ、よしおさん。わたしもう死んでもいいわ。」
「シんでもいい。と言うことはつまりデスね、次の瞬間の未来においてシんでいる状態とまだシんでいない状態の同時に2つの状態をとることが可能でありどちらの状態になっているかを知ることはできないという理論になるんデスね。量子力学の世界では実際に観測してどちらの状態になっているかを確認するまで同時に2つの状態を維持しており観測が行われた時点ではじめてどちらか一方の状態に固定されるんデス。ということは観測する者の存在があって初めてこの世界は存在することができるという考えデス。」
「じゃあ、ワクチンをうったほうがいいか、と、うたなくてもいいかは、どうなるのかしら?」
「それはたとえばデスね、ある箱の中に、帯状疱疹のワクチンをうけようかどうしようか迷っているネコさんと、1年に1回の割合で当たりの出るガリガリ君と、ガリガリ君を食べると俄然やる気になるきまぐれなガイガードクターと、ドクターが接種するための帯状疱疹ワクチン一式を入れておいたとします。さて、このネコさんが帯状疱疹にかからずヨカッタなあと思っているか?、それとも帯状疱疹にかかってシマッタなあと思っているか?それは「観測者」が箱の中を覗いてみてはじめてわかるのデス。ガリガリ君の当たりがいつ出るかは全く予想できません。1秒後か1年後かわからないのデス。そのため箱の中を覗かなければヨカッタなあと思うネコさんとシマッタなあと思うネコさんが同時に存在するわけでして、両方を兼ね合わせていることになるんデス。」
「でも、よしおさん。だからと言って観測者が箱の中を覗いたらそのネコさんが日本語で「ヨカッタにゃあ」「シマッタにゃあ」と言うわけではないわ。」
「さすが、よしこさん。ご指摘の通り、この思考実験においては現生におけるこの世界のリアル感とかなりずれがあるわけでして、実際には「ワクチンをうったおかげで帯状疱疹に罹らずに済んだ、よかったなあ♪」と感謝する場面はあんまりないわけデス。
むしろ圧倒的に「ワクチンをうけとかんかったもんだで帯状疱疹に罹ってまった、しまったなあorz」と後悔する場面のほうが多いわけデス。
ネコさんの後悔を現実世界に持ち込んで具現化させることができるかどうかは重ね合わせのパラドックスをさらに混沌としたカオスに陥れるにすぎません。」
「でも、よしおさん。私はこの「ネコさん」こそが観測者ではないかと思うの。」
「ぼくはね、よしこさん。その点観測者の存在には重要視してはいないんだ。箱を開けて覗くはるか以前にネコさんの運命は決まっているんだ。その運命を決めたのはガイガー・カウンターだと考えているんだよ。よって実際ネコさんのデスてぃにーを決めたという意味での観測者というのは、(ジャジャジャジャーン♬)実は「ガイガードクター」だと思うよ。結局うっといた方がいいか、うたなくてもいいかは悩んでいないでドクターに聞いてみようということだね。」
エピローグ
コマッタネコちゃんたちは結局医者に聞いてみようという他力本願G作戦になっちゃったみたいですね。ちなみに未来を見ることができるのは医者ではなくて「占い師さん」。ガラスのタマを覗いてみればきっと見えるんです。お医者が見るのは過去の世界。エビデンスとか経験値とかデータとか過去を見て未来を予言する。どっちを信じるかでまた可能性のある二つの異世界がパラレルワールドとして存在し、この二人の観測者が出会うことは決してなく、意思の疎通すらあり得ません。また医者と僧侶のレベル以上に兼業は聞いたことがありません。ただ…転職という憧れにも似た可能性は残るかもしれませんが。